設計審査で審査するのは人ではない

設計を行うと、設計審査なるものがあります。
ほとんどの企業では言った者勝ちの無責任な指摘が繰り返されるだけで、ただの労力のむだになっています。

なぜこんなことになるかと言えば、言う側には言った責任はないのに、言われた側にはそれがどんなに現実離れしていても、意味不明な指摘でも、対処する責任が発生するためです。

これは審査する側に技量が不足しているのが大きな理由ですが、それ以前に審査に向かう姿勢が問題になっていると思います。

「人を審査していないか?」ということです。
確かに、設計者の技量はその先の品質や製品競争力に大きく関わってきます。
技量のある者が作ったソフトウェアは、不具合が少なく、処理が高速で安定しています。
回路設計においても、経験豊富な人が書いた回路図は細かいところまで行き届いていて、高性能で安定した動作が期待できるでしょう。

他の部署のほとんど知らない担当者が設計するとなれば、その人がどれくらい技量があるかというのは大きな関心事です。
しかし。設計審査とは、担当者の技術力を測る場所ではありません。設計成果物が妥当であるかを審査する場です。

担当者には設計業務をこなすだけの技量があると判断されたから設計を任せるのです。
常に近くで仕事をしている直属の上司による判断によってです。
設計審査で意地悪な質問をしてちゃんと答えられなかったくらいで覆すことはできませんし、覆すべきでもありません。

設計審査が人への駄目出しの場になってしまうと、設計者側も成果物の性質を変えなければならなくなります。

多様な意見が出やすいように簡潔でわかりやすい資料を作るのをやめ、理論武装した難解で、全て目を通すのも難しいくらいの分量の成果物を作るようになります。
発言も自分の言葉で伝えようとせず、誰かが作った文章を棒読みするだけになります。

こういう状況に陥ると、設計審査には全く意味がありません。
こんな無駄なことに時間を費やすくらいなら、その時間で一個試作してみたほうが断然品質も性能も上がります。