選択を間違うことより、選択肢がないことが結果をきめる

よく選択を間違えたために事業に失敗したとか、経営が悪化したと言われますが、実際には選択を誤ったことより選択肢がないこと自体が結果に大きく影響します。

麻雀などでもそうですが、リーチをかけられて安全牌がない。押すか引くかといった話になります。
しかし、こういう話には違和感があります。強い人は、そもそもそういう場面に当たらないのです。
不利な場面でほんの一寸の差しかない選択をどうするかよりも、そうならないための手を打つ選択肢を持てているかが結果を大きく左右します。

研究開発に投資する理由もこれがほとんどです。
新しい技術を研究する理由は、8割は選択肢を増やすためです。
その技術によって直接事業につながらなくても、技術が優れていれば何らかの別の場面で使える場合が必ずあります。

別の新しい事業を行おうと考えた時、社内に似た技術があればその選択を取りやすくなります。
複数の似た技術があればその中から妥当なものを選択できます。
そうでなくても、継続的な投資で基礎的な設計技術やソフトウェアの知識といった技術力は少しずつ上がって行きます。

技術がなければ、技術を獲得するところから投資が必要で、失敗のリスクが大きくなり、動きを取るのが難しくなります。
身動きが取れないから何もできないでいると、社会から置いていかれ、最終的になにもできなくなります。

「余裕がない」と言って新しい技術に投資しなければ、投資しなかったという事実によって5年後、10年後には技術力が衰え、
技術力がないことによって更に新しい技術への投資ができなくなります。そうなってしまうとメーカーとしては完全に終わりです。

未来の選択肢が広がるためには、裏目に出た場合のイメージが重要です。
投資を行い、仮に失敗したとして、完全にゼロになってしまうでしょうか。

技術に投資すれば、仮にそれが失敗に終わっても、技術は残ります。
その技術は新しい開発の力になります。
新しいものに挑戦したということは、次の新しい挑戦の力になります。

最悪なのは、失敗した後何も残らないことです。
全てを外注企業に任せてしまっていては技術は身につきません。
懲罰的に技術者を解雇してしまえば技術はそのまま流出します。

選択と集中」と言って、テーマ選定とそのための資料作りに物を作るのと同じくらいの労力をかける場合がありますが、これも効率が悪い。
机上の空論でどれだけ情報を集めても、議論を繰り返しても、実際に物を作って得られるノウハウや知識に比べたらあまりに小さく、後に何も残りません。
テーマの2分の1が採用され、それから物を作り出すとすれば、効率は3分の1。
ほんの数%選定の精度が上がっても、全く相殺できません。

こういったことが繰り返されるうちに、社内にまともに技術がわかっている技術者がいないという異常な状況に陥るのです。
そうして手足を縛られて、身動きが取れない中で最良の選択は何かという議論はやっても無駄です。

手足を縛られている理由そのものを解決する努力が必要です。