ソウル鉄道事故は本当はセウォル号と同じくらいやばい

セウォル号事故の後、ソウル市の地下鉄が事故を起こしました。

聞いてみると、この事故原因がやばい。

「特別点検を行ったのに故障が漏れていた。ずさんな点検実態が明らかになった」
そういう問題だと捉えている人も多いと思います。
しかし、実はそのレベルをはるかに超える異常な事故です。

事故原因はこんな理由のようです。
「信号装置の故障によって、赤信号にすべきところが青になっていた。そのためATS(列車自動停止装置)が作動せず、追突が発生した」

しかし、鉄道信号の設計について少しでも知っている者ならば、「赤信号にすべきところが青と表示」することは絶対にあり得ないとわかります。

鉄道信号には閉塞という考え方があります。大まかにいえば「ある特定の区間に複数の列車を存在させない。列車が存在する区間に侵入しようとする列車は侵入を禁止する」という考え方です。
鉄道信号を設計する場合、まず基本的に機器の故障を含むあらゆる条件でこの原則が破られないように設計します。

例えば、列車検知にはレールに電流を流す方法(車体は金属なので軌道に列車が存在するときだけ電流が流れる。)がとられます。もし機器が故障した場合には安全側(この場合は列車が存在する)という方向に制御します。
信号の伝達等も、リレー等の物理的な切り替えを使い、「列車が存在した場合には必ず赤信号となる。故障等で不定な状態になった場合も確実に赤信号となる」ようにシステムとして、安全側に動きが倒れるように制御します。
この考え方はフェールセーフと呼ばれ、ATSの基本的で最も重要な裏付けになっています。

ですから、日本のATSが搭載されている鉄道では、機器がどんなに故障しても、それによって追突事故が発生することはありませんし、仮にそんな事故が発生しようものなら「動作がフェールセーフ側に倒れなかった」としてその鉄道信号メーカーは完全に信頼を失います。
そのメーカーの受注は一切停止され、潰れるしかないという状況に追い込まれるでしょう。

ソウル地下鉄の事故で、「赤信号にすべきところが青を表示した」信号システムは、この考え方が全く取られていないことになります。
ATSや信号が正常に動作することを、システムとして一切保証されていないということです。つまり、「運転手の目視によって」以外には安全性を確保できない鉄道信号システムであるということが証明されたわけです。
安全性の再検証を行い、機能的な安全性が証明されるまでは、少なくともこのメーカーの信号システムを使う路線は全て運行を停止するべきです。

さて、彼の国はどんな対応を取るのでしょう。

「もしこの列車が通過列車だったとしたら」

考えるだけで恐ろしい。




年功序列賃金が作る負の連鎖

日本の社会では年功序列賃金という制度が根深く残っています。

これはすでに崩壊しかかっているのに、上に乗っかって利益を得る一部の人の既得権益を守るために無駄な(というより有害な)延命措置が取られています。

年功序列賃金とは、若い間は賃金を安く抑えられるが、高齢になるに従って賃金が上がるシステムです。
年齢が上がると子どもの教育費が高くなって来るからそれに合わせて給与も増やそうという、いわば自発的な社会保障制度とも言えます。

しかしこの制度はすでに半分沈没していると言えるでしょう。

企業が平気でリストラするようになってしまったからです。
保険に例えるなら、子どもにお金がかかる時期に保険金が支払われる保険に入っていて、実際に保険が支払われるかどうかの決定権が保険会社にあるようなものです。
こつこつと貯めた資金が「保険会社の意向です」という理由で打ち切られるとして、そんなものは保険と呼べるでしょうか。

そんな沈没しかけの船でも、最後までしがみつき、利益を貪りたい人間によって延命措置がとられています。
そのツケは、社会全体で支払わされているのです。

例えば、20年後に給与が高くなるとわかっているから企業は若い正社員を雇おうとしません。結果若者は不安定な非正規雇用を余儀無くされます。
雇ったとしても、ブラック企業と呼ばれるような過酷な環境を強いて来ます。20年後に高くなるならば、20年経つ前に辞めるようにすればいいのです。
40代でリストラされた人はどうでしょう。年功序列賃金制度によって、正規雇用では賃金が高くなり、再雇用は難しくなります。

年功序列賃金は、現在の社会情勢では、最後まで運良く生き残った人だけが安泰な暮らしを約束されるという、差別制度に成り下がっています。

しかし、運良く最後まで残っている人もいい人生かと言われれば疑問符でしょう。
リストラ競争で生き延びるためには死ぬほどサービス残業をせざるを得ません。
家族と過ごす時間はほとんど持てず、ほとんど仕事漬けの毎日を送るしかないでしょう。

企業側から見ると、このような状態は一言で言い表すことができます。
「業務効率化によって人件費を削減できた」

こんな社会が幸せと言えるでしょうか。


教師の人権を侵害するような言動や行為はきちんと司法に判断を委ねるべき

この間、子どもの入学式に出席するという理由で学校を休んだのを、どこぞの市議が公然と批判し、
あろうことか教育委員会が教師の行動を注意したというニュースがありました。

この間のテレビ番組ではモンスターペアレントが「結婚した受験生の担任に妊娠しないように要求し、誓約書まで書かせた」という事例が紹介されていました。

これらの例は自身の立場を利用して名誉を傷つける言動を行ったり、不当な要求を呑ませたりしており、パワーハラスメントにあたるといえます。

会社の上司に例えればわかるでしょう。
社員がみんな見ているツイッターで「○○は会社を休むなんてけしからん。あんなやつはクビになるべきだ」と呟いたらどうなるか?

上司が部下に「妊娠しない」という誓約書を書かせたらどうなるか?

どちらも、慰謝料を請求されても仕方ありません。

例の市議も、モンスターペアレントも、憲法や法律で認められた基本的人権(有給休暇で休む権利、子どもを育てる権利、結婚し、妊娠、出産する権利)を公然と侵害しているという事実を受け止めるべきです。

またこのような話では、感情的な議論や世論調査で多数決を取っても答えは出ません。

教師には他の誰もと同じように基本的な権利があり、保護者にしてみれば「少しでもいい教育を子どもに受けさせたい」と考える。どちらも権利を主張して話がまとまらない。
教師の権利はどこまで認めらるのか、市議や保護者の取った行動は法律上どういう位置づけになるか。

これらは司法判断によって決まるべきです。
判例が積み重なることによって線引きをしていかないと、弱い立場に立っている教師が結婚も出産もできないということになります。

保護者や市議への賠償請求はやりにくいと思っていても、過剰な場合は教師自身が慰謝料請求の裁判を起こすべきでしょう。そうして司法判断によって正当性を示さなければ、教職員はいつまで経っても偏見による不当な扱いを受け続けるでしょう。






統計学は全く使えない

統計学は全く当てにならないと考えた方がいい。

統計学というのは、基本的になんでもありだ。

例えば、「マスクをすると花粉症リスクが2倍」という結果も作れる。
マスクをしている人、していない人を100人ずつくらいランダムに選んで花粉症かどうかのアンケートを取るわけだ。

で、マスクをしていて花粉症の人の割合は、マスクをせずに花粉症の人の割合の2倍あった。よってマスクをすると花粉症リスクが2倍となる。


「そんな馬鹿な。花粉症だからマスクするんでしょ。」と思うのは、因果関係がはっきりしていて論理的な矛盾が明確だから。

例えば、「朝食を取ると成績が上がる」と言われたらどうだろう?やってることは大差ないけど、なんとなく正しいような気がしてしまう。これが統計学のまやかし。

統計学では、恣意的にデータを集めて捏造するなんて楽勝です。学者は大量にこういう論文を作って発表するし、どこぞの環境保護や消費者団体はそれを引用して攻撃する。

シーシェパードみたいなのが蔓延るわけです。



企業が正社員を雇わないのは社会保障費を支払いたくないから

企業が正社員を雇わない理由。これは社会保障費によるものです。
企業は現在、大きな負担を強いられています。
正社員には給与だけでなく、厚生年金や健康保険等の負担があります。

派遣社員に比べてこれだけでも大きな負担ですが、企業はこれ以外にも大きな負担を強いられています。
現在でも残っている年功序列の制度です。
20代に比べて、40代、50代は2倍近く給与があります。
しかし、ほとんどの社員はそこまで企業に貢献していません。
20代の正社員を雇ったとして、現在は大きな負担増にならなくても、20年後には高給になり、大きな負担になります。
対して、雇うのが派遣社員であれば、20年後も今と同じ給与で済みます。

これについては簡単な解決策があります。
40代の給与を20代並みに下げればいいのです。
実際給与を下げるのが合理的で妥当な判断でしょう。

しかしそうはできない理由があります。
40代の社員には子供がいます。多くは高校や大学といったお金がかかる時期です。
もし給与が削減されれば、中退しなければなりません。
進学を諦める場合もあるでしょう。
それでは困る。だから正社員を保護して高い給与を保証します。

ここで問題になるのは、先進国中でも最低レベルの国の教育費負担です。
本来国が税金によって面倒をみるべき教育費の負担を国はしていません。
その代わり、企業に、社員への高い給与を支払わせることで、教育費を負担させているのです。

正社員を簡単に解雇、減給できない以上、年功序列賃金という名目で、社会は正社員の人数に比例する社会保障費の負担を企業に強いていると言えるでしょう。

こう考えると、企業はとんでもない額の社会保障を負担していることがわかります。
支払いを逃れるために非正規社員を増やすのは当然です。

現在年金や高齢者医療費、介護費用は伸び続けており、誰かがそれを負担しなければならなくなっています。

年間で労働者一人当たり150万とか200万という負担が増えなければ成立しません。

誰がこれを負担するのか。
明確な答えがないまま、借金だけがどんどん膨らんでいます。
社会全体で負担するべき問題ですが、現状では一部が奴隷のように働かされてしまう可能性が高い。

企業はババ抜きをしているのです。正社員をたくさん雇えば、それがジョーカーになる危険性が高い。
ジョーカーを握ってしまった場合のリスクがあまりにも大きいのです。企業は倒産の危機に直面し、社員は生き地獄のような状況で働かされるでしょう。

解決策は明確なのです。支える人数が少なすぎるならば、支えられる側で支える体力のある者が支える側に回るしかありません。75歳くらいまで年金の支給開始を遅らせるか、働く体力がなくなったときに支えられる側に回るという仕組みに変えれば成立します。

「子供を1人しか育てられなかったら、老後に子供から扶養してもらうのは難しい。できる限り自分で働いて、稼ぐようにしよう。」

同じことを社会全体が意識すればいいのです。

こんなことは20年も前に議論されなければならなかったこと。それを今まで先延ばしにした政治の怠慢は非難されるべきでしょう。


製品品質の向上

製品の品質が上がらないのは、どうしてか。

誰もが悩むことですが、改善しようとしてもなかなか改善しません。

まず考えるべきは品質を決める重要なファクターは何かです。
6割は技術力、2割が工程や社内のシステム。残りの2割が検査や設計検討不十分です。

不具合が起こり、その理由を聞かれると、だいたいみんな「検討が不十分でした、検査不十分でした」と答えます。
当たり前です。「自分の技術が未熟でした」なんて言えないし、実際技術が不足しているかなんてわかりません。

しかし、これを真に受けると大変なことになります。
検査により時間をかけると人件費が膨らみますし、設計検討が不十分だから厳密に、厳格に審査しようなんてなるとただの迷惑です。
労力をかける品質対策は、工程を厳しくし、それによって設計時間の短縮を余儀無くされ、逆に品質を下げることになります。

まず第一に考えるべきことは、要因として6割を占める、技術力の底上げを図ることです。
ソフトウェアもハードウェアも、外注に丸投げしない、過去の成果物のコピペをしない、データシートやリファレンス回路をよく読むといったあたりまえのことを当たり前にこなすのです。

そしてより大事なことは、日頃からそういう技術的な業務が増えるように動くことです。

外注企業に発注する前段階で、0次試作をやって動作や特性を確認する、動作確認ソフトを作る。ログ解析ソフトを自作する。不具合があったら自分でデバッガを走らせて原因を見つける。

このように、技術的的な、それでいて品質を上げられる形で少しずつ技術が身につくように業務を行っていくことが重要です。

次に工程ですが、無駄なことを徹底的に排除することです。
無駄なことに時間を取られてしまうから、技術的な業務に時間を割くことができなくなります。

つまらないこと、めんどくさいこと、ミスが多発すること、忘れがちなこと。
この4つに無駄が含まれています。

定例ミーティングがめんどくさいと思ったら、それには一切意味がありません。
上司に報告するのが憂鬱なら報告する必要はありません。聞かれた時に「順調です」と答えればいい。
出図が面倒ならば、ワンクリックで完了するシステムを作ればいい。
文書でミスが頻繁に起こる箇所は、だいたい無駄な箇所です。日付なんてマクロで自動的に今日の日付が入るようにすればいいし、頻繁にミスが起こる項目は何書いていいかわからなかったり、同じ事を何回も書かされたり、要らないことを書かされているだけです。
忘れがちなことも同じです。自動化すれば効率的になります。

ミスをしたとき、「次はミスしないようにしよう」ではなく、「こんなミスが出るようなこと、本当はしなくていいよね」と思うことが重要です。

そして最後が設計審査や検査です。
ここで大事なのは、効率を大事にすることです。
審査のために何週間もかけて資料を作っても無駄です。
審査は「ちゃんとやってる?」「ちゃんとやってます」くらいの確認で十分です。
意見をもとめる、意見を言うといった関係でなければなりません。
そのためには設計審査の場で審査するのではなく、日頃から技術者同士で意見交換が活発な環境を作ることです。

審査で絶対にやってはいけないのは、設計者の技量を審査することです。
技術者にはその業務に携わる技量があるから業務の指示が与えられています。
その指示は、直属の常に近くで業務を見ている上司の判断です。
ですから、技術者に技術があるのは前提条件であり、審査の場に至ってその技量があるかを試すような言動を行うのは意味がありません。
それどころか設計者は、防御のために無駄で膨大な資料を用意しなければならず、効率的ではありません。そんな時間があるなら、p板で一回試作をやった方が格段に品質が上がります。

1時間品質のための業務を行えば1時間分品質が上がると思いますが、実際にはその1時間分、設計にかける時間が減り、品質は下がるのです。
品質を上げるには、下がった分を引いてさらにプラスになるだけの効果がある手を打たなければなりません。
この算数を勘違いしていると、品質対策をしているのに全く品質が上がらないということになるのです。






経営者の考え

派遣社員が増え続けています。

経営者が派遣社員を選ぶ理由はコストの問題や他にも多くの理由があると思いますが、
今回は少し趣向を変えてみます。


経営者は人員を柔軟に変化させられることを派遣社員を増やす理由にしています。
「繁盛期には人を増やしたい。閑散期には減らしたい。」
「人員の必要な部署に人を増やしたい。多すぎる部署から減らしたい。」
前者の意見はそれなりにわかります。
しかし後者は大きな疑問符が付きます。

確かに、事業規模が大きくなると、成熟した産業から成長産業に少しずつ人員をシフトする必要があります。
しかし、そういうシフトは5年後、10年という長いスパンで起こるものです。
ゆっくりと時間があるのに人員の配置転換のための調整弁として何割もの派遣社員を雇うのは理屈にあいません。

ではなぜ経営者は派遣社員を増やしたがるのか。
トカゲの尻尾切りをやりたいのです。
経営が大きく行き詰まったとき、正社員が10割の会社では人員の削減は困難です。

しかし、5割派遣社員がいればどうでしょう。
経営者はまず真っ先に派遣切りをします。
人員が5割減れば、人件費が5割減るので一気に収支は改善します。

しかしこのやり方には決定的な問題点があります。
経営が傾いた理由は、新しい事業を作れなかったり、業務が非効率だからです。
このやり方では問題は一切解決しません。
前述の例のように5割の派遣社員を解雇すれば、そのしわ寄せは正社員に行くだけです。
真夜中遅くまで業務を行い、経営が厳しいからと残業代の請求もできません。
そもそもの問題点が解決されてないわけですから、この状態は未来永劫続きます。
そのうちに、サービス残業が当たり前の会社になり、ブラック企業化します。

大半のブラック企業はこうして生まれます。
業績が上がっていれば、残業しても残業代が払われます。
しかし、業績が落ち込んでいる時に人員を削減して残業を強いられると、残業代は支払われなくてもよくなってしまうのです。
ここ20年の間に、大半の企業は似たようなことを経験しているはずです。

普通であれば経営者の無責任な行動は大きく非難され、給与不払いとしてストライキや訴訟に発展し、企業はより決定的な打撃を受けるという報いを受けるはずです。

しかし、日本の社会では体育会系の根性論で乗り切ってしまいます。
結果、表向き経営が改善され、経営者は責任問題を問われません。

経営が行き詰まった会社がわずか半年ほどで大きな利益を上げる場合がありますが、まさにこれを実行しているのです。